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花やっこの世界

わたくしの創作と冒険

作文「編み物の世界」

放課後手芸クラブ

この世界になわばりをつくる方法のひとつとして、編み物をえらんでいる。

なわばりとは自分がのびのびと正体を現すことのできる場所をさす。

竹でできた細い棒を両手にかまえ、好きな色の毛糸をひっかけたり、はずしたり、同じことを繰り返す。編み図と手元に交互に視線をうつしながら、途中、まちがえて引き返したり、なかなか前に進まない。そのまま放り出されて何にもなれなかった羊の毛もある。

 

はじめて歩く道をたどるようにしていると、やがて1本の毛糸がミステリーサークルのように模様を描き出す。

ちょうどそのころには編み図を見なくても手がすいすい動くようになり、編みながらも自分の心の動きを眺められるようになっている。

無心、とはすこし違う、電車にゆられながら景色を見ているときに似ている。

 

誰でも自分の心を守らなければならない時代を経験している。

どんなふうに守るか。ひたすらに目をつむりやりすごす、自分より弱いものをいじめるなんていうのも、保身のひとつだ。

体と同じで、心も鍛えれば強くなるものと思っていたから、わざと危険にさらしたりもした。

安全な場所をいつも探していて、わたしはつねに落ち着かない。

ときどき、全部のことを0からやりなおしたいと思うことがあって、けれどそれはできないことだから、いまの全部を受け入れるしかなくてやるせない気持ちになってしまう。

 

何もないところからかたちある物を生みだすことはあたらしい世界をつくること。

わたしの心のなかはわたししか知らない。自分のなわばりまで、竹の棒と羊の毛をつかって迷いながらもたどりつく。そこで見たものはわたしが第一発見者となるのだ。

 

この1本の糸もかつては羊だったわけだし、この竹の棒もたけのこだったはず。

どんなものにも物語があるし、はじまりとおわりがある。おもしろい物語もあればつまらない物語もあるし、それぞれを見たい人が見たいように見ている。

0からやりなおすことはできなくても、0から生みだすことはいつでもできる。

わたしのなわばりから見た世界をだれかに見せたいとおもって今日も編み物をしている。